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2018/08/02

NO.50 銃撃のさなか、救助者たち(RESCUE UNDER FIRE)

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RESCUE UNDER FIRE
銃撃のさなか、救助者たち

ラスベガス銃撃事件、救急医療サービスにとっての暗い一日

ラスベガスのメディアは、2017年10月1日の夜のことを、しばしば "あのひどい夜"と呼ぶが、その夜の始まりは少しもひどくはなかった。
カットオフジーンズにサンダル履き、カウボーイ・ハットをかぶったお母さん、お父さん、子供たちや、十代の若者たちが22,000人やってきて、3日間続いたルート91ハーベスト・フェスティバルのフィナーレを楽しんでいた。イベントにはカントリーウェスタンのトップクラスの歌手、作曲家、エンターテイナーが出演していた。
MGM Resorts International社が用意したラスベガス・ビレッジにある15エーカーのフェンスで囲われた場所で、観客は芝生に折りたたみ椅子やピクニック用の毛布を広げ、座っていた。
大規模なイベント会場では、よく救急医療機関が待機している。コミュニティ アンビュランス社(以下「CA社」)はネバダ州クラーク郡で911の要請に応える会社の1つだ。この野外コンサートは、CA社がいつも救急サービスを提供している多くの大規模なイベントと同じ様子だった。
グレン・シンプソンが率いる同社の特別イベント部門は、毎年160万人以上のイベントの観客や参加者に医療サービスを提供している。これまでサービスを提供したイベントや会場のリストは増える一方で、全米ロデオの決勝、シーザーズパレスのコロシアム、USA7ラグビー、ハウスオブブルース、PGAトーナメント、北米最大の音楽祭であるエレクトリックデイジーカーニバルなども含まれている。
ルート91フェスティバルでは、シンプソン以下16人のスタッフが綿密な計画を立てて、ラスベガス・ビレッジにある会場の西、北、東にある6つの大きな門を通って、観客が確実に、安全に会場を出られるように準備した。
クラーク郡消防署、ラスベガスメトロポリタン警察署(LVMPD)、現場の保安係、ライブネーションエンターテインメント社、MGM Resorts International社(イベントのプロモーター)の全てが連絡を取り合っていた。
準備の一環として、イベントの医療部門のリーダー達は、実際に乱射事件を想定するシナリオの検討も行った。これらの議論の結果、会場の北東角のゲート4A付近にあるCA社の医療用テントが、救急医療機関の救急車の発着や収容に使える、会場に直結した拠点となった。
CA社が現場に配置した人員は、主に経験を積んだ社歴の長いベテラン救急隊員で、特別イベントで数ヶ月の経験を積んだだけの新人も数人加わっていた。
制服で場内を見回る役の隊員は、会場内の重要なポイントに配置された。それにはステージの右側(バリケードの後ろ)、メインゲート、観客席が含まれ、救急医療の要請があれば最良のアクセスが提供できるよう備えた。
さらにCA社は3台の救急車をイベント専用にして、会場の医療テントに近いゲート4Aの真向かいにある教会の駐車場という、絶好の場所に駐車した。
会場の南側には、コンサート主催者が巨大なステージと照明設備を作り上げ、カントリーウェスタンのスター達が、ハイテクできらびやかな公演を行った。
会場の西側には来賓用のテントがあり、ステージの東西には特別に設置されたスイートの観覧席もあった。
売店は会場の北東の端にあり、中央入口と医療テントの近くだった。
午後10時5分までは、温暖でネバダ州の南部らしい素晴らしい夜だった。 歌手のジェイソン・アルディーンが午後9時40分ごろ、ステージに上がった。ジェイソンが「When She Says Baby」のさわりを演奏している時、最初の銃声が聞こえた。

発砲

「私は酔っ払ったコンサート客を道路までエスコートしタクシーに乗せて、ちょうどドアを閉めたところだった」とシンプソンは言う。「いっしょに来た5人のラスベガスメトロの警官と、医療テントに戻ろうとした所だった。遠くで何か音が聞こえ、それが最初の銃声だと後でわかった。ショーでは火薬を使う予定がなかったと思い出しそれが何の音だったのか思い当たる間に、隣にいた警官が私に『これは本物(の銃)だ』と言った。」
金色の窓に飾られてそびえ立つマンダレイベイホテルに銃声がこだまし、最低2つの違う方向から聞こえてくるような印象を与えた。
「最初は、複数の人間が地上で発砲していると思った。負傷者が会場のあらゆる場所から来ていた」とシンプソンは付け加えた。
シンプソンは現場にいる部下の安全を考え走り出した。逃げるコンサート客が会場の出口に向い殺到する流れに逆い、応急手当のテントに向かった。
シンプソンが会場に駆け込むと、周囲に弾丸が降ってきた。シンプソンはCA社の救急車配車センターに直結している2番目のチャンネルを使用し、救援を要請した。途中、明らかに死亡している人のそばも通った。
シンプソンはゾッとしたが、びっくりするぐらい冷静だった。負傷者を助けようとしている人々には、負傷者を医療テントに連れて行くよう、身振りで示した。
「発砲が続き人々はパニックに陥った。ほんの1メートル先にある、一目で出口とわかるところから出ればいいのに、フェンスを登って越えようとしている人もいた。」とシンプソンは言う。

マネージャーにとって最悪の事態

CA社のCOO(最高執行責任者)でオーナーの一人であるブライアン・ロジャーズは、フェスティバルには参加していなかった。携帯電話が鳴ったので出てみると、「お父さん、誰かが私たちを撃っている!どうしたらいいのか分からない!」とどんな父親でも身の毛がよだつようなことを聞かされた。ブライアンの娘でCA社の社員でもあるケイトリン・ロジャーズが、銃弾が飛び交い、物や人を撃ち抜く、コンサートのステージ近くから電話してきたのだ。
「走れ!応急手当のテントへ行くんだ。私もすぐ行く。」とロジャーズは言った。自分がすぐに、人生を永遠に変えてしまうような重大なイベントで、リーダーとして指揮することになると覚悟した。
ロジャーズはフェスティバル会場に急行しながら、ディスパッチ(指令係)に電話を入れ、救急車が追加動員されていることを確認し、警察と消防署の大規模な対応が開始されたことも確認した。複数の救急医療機関に所属する人員が呼応し始め、警察のヘリコプターには乗員が搭乗し、飛行準備が整えられた。
ロジャーズはまもなく医療テントに到着し、娘や社員の無事を確認した。
「経営者、あるいは単に上司としても、多大な個人的な責任がある」とロジャーズは言う。「あんな事件が起こると、自分が部下を危険にさらしたように感じるんだ。」
ロジャーズのパートナーで共同経営者であるロブ・リチャードソンCEOと、本部長のブライアン・アンダーソンは、自宅で通報を受けた直後に、CA社の本部に連絡を入れた。そのおかげで、利用可能な救急車全てを動員し、同社が担当する地域での911対応サービスを整備し、負傷者が運び込まれる地域の病院への通知の援助もできた。
ハワード・シェパードはCA社のコミュニケーション・マネージャーで、自宅で連絡を受け、通信センターの指揮を取るために出社した。
「私がセンターに入った時」とシェパードは言う。「ディスパッチャーの表情が落ち着いていることに気づいた。冷静沈着だった。彼らは入ってくる連絡をさばき、手際よく隊員を出動させたことを、私は誇りに思う。」
CA社の社員全員に緊急連絡が行われた。社員は連絡に応え、利用可能な全ての救急車に乗り込んだ。
「乗員が揃った救急車から出動し、30分も経たないうちに、駐車場が空になったよ。」とアンダーソンが言う。

即刻行動開始

クラーク郡の災害対応計画、非常時対応システム(インシデント・コマンド・システム、ICS)の訓練そして計画プロセスは、災害対応のために綿密に考えられ開発されている。しかしこの事件では、犯人が会場のずっと上から大口径の弾丸を1,100発あまりも乱射し、観客のみならず救急隊員や警官にも弾丸に曝される様相では、もっと状況に即したアプローチが必要だった。正式にICSプロセスが実行されたのは、発砲が止み、警察などからより多くの情報が得られた後だった。
コンサート会場にはCA社の社員が4人、観客としてフェスティバルを楽しみに来ていた。この4人が自らの危険も顧みず、被害者の手当てをするために直ちに任務を開始した。
「我々がファーストレスポンダーだったのではなく、レスポンダーそのものだったんだ」とシンプソンが思い出す。 「現場に突入したのではなく、現場から応えたってわけ。」
元CA社員で最近カリフォルニアに引っ越したジミー・グロボム救急救命士も、医療テントにこもっていた同僚を援助するために、すぐに行動を起こした。
自動小銃から放たれる弾丸が被害者やわずか1メートル先の道路に当たり続ける中、応急手当てのテントの中はすぐに多数の受傷者に飲み込まれた。
「後から後から人を連れてくるのよね。」と医療テントに配置されていたレイチェル・コール救急救命士が思い出す。
医療員が生存可能な被害者を救うために大奮闘するかたわら、残念ながら、死亡した数名と瀕死の犠牲者をテントの外に移動させることは避けられなかった。
その晩医療テントの責任者だった救急救命士のオスカー・モンテロッサは、チームを指揮する一方で、ターニケットで重度の出血を止血し、内出血には補液し、さらに踏みつけられた四肢を固定することに集中していた。 (被害者546人のうち、踏まれたことによる怪我は驚くほど少なかった。)
負傷者があまりに多かったため、現場の医療用品および予備はすぐに使い果たされた。
複数のブランドのターニケットが救急隊員や警察関係者によって使用されたが、その中で最も効果的だったのは、CATとSAM XTの2つのターニケットだった。間に合わせの止血帯や他の市販のターニケットは、装着位置を安定的に維持することができず、CATやSXTターニケットと取り替えなければならなかった。
「うちの若い連中ところへ、銃弾の破片よる傷や軽い銃創、はては外傷性心停止の人まで連れてこられてね。」と業務管理者のボブ・バイルドはその時の驚きを語る。 「頭を撃たれた人、胸を撃たれた人、派手に動脈出血している人もいたんだ。」
「顔や頭蓋骨に銃創を受けた受傷者がまだ自分達に話しかけているのを見るのは、すごく奇妙な感じだった」とシンプソンは言う。「どこも血だらけだった。まわりの人間は、傷口から出血しているか、でなければ助けようとした相手の血で覆われていた。」
ラスベガスメトロの警官が撃たれて倒れているという情報が入った時には、バイルドと救急救命士のトロイ・ゴールドバウムがラスベガスメトロの武装警官の援護を受けて、負傷した警官を見つけ手当てするためテントを飛び出した。
CA社の社員が負傷した警官を一刻も早く見つけるために走っていた時、ラスベガスメトロの警官が何人か、11メートルほどの小さなタワーに登った。タワーは元々、駐車場にあった広場の監視塔として設計されていた。警官達は複数の人間が地上で攻撃していると思っていたので、遠距離射程のライフルで医療テントを保護・防衛するべく、タワーの上で構えた。
応急処置のテントは完全に停電しており、それが情況をさらに複雑にした。乱射がついに終わって警察から安全だと伝えられテントから避難できるまで、医療員は暗いところで手当てをした。
周囲が混乱のるつぼとなっている中、最優先事項は、できるだけ多くの人の手当てをすることだった。
現場の救急隊員達は発砲者が地上にいることを恐れ、本能的に逃げ出したい当たり前の気持ちにもかかわらず、受傷者をテントに置き去りにすることを拒んだ。武装した警官に囲まれて、彼らは仕事を続けた。
自動小銃の弾丸がパニック状態の群衆に降りかかり続ける中、シンプソンとバイルドは医療テントで最初の指令所を確立し、CA社の通信センターと交信し、追加の救急車と人員を要請した。
ついに射撃が止んだ。しかし何が起こったか、情報は乏しく、まだ危険が続いているのか、攻撃がどこから来ているのかもわからなかった。
ホテルの保安係と警察がホテルのスイートルームに踏み込んで、狙撃者が倒れていることを確認したのは、ずっと後のことだった。

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